実習6日目【太良】

おつかれ様です。
企業実習中の太良です。

本日は午前中、裁判所での傍聴の機会をいただきました。
中でも【拳銃を使った強盗殺人未遂事件】の検察官の方の意見の中で、「拳銃は人を殺すためだけのもの」という意見がありました。日本国内で住んでいて、銃のことを身近に感じることの少ない生活において、「拳銃は人を殺すためだけのもの」と感じてしまうこともあるかと思います。

しかし私自身はその意見に違和感を感じました。
それは以前ハンガリーに行った際に、銃は許可があれば所持できるお国柄、街中には大通り沿いにガンショップがあり、14日間の滞在中1組のみではありましたが、日中カップルに方が周りから見える腰の位置に、拳銃をもって歩いてるのを目にしたことがあります。拳銃を持っていた方たちがテロを起こすわけでもなく、自衛のために持っているのであろうことは明白でした。
(もし犯罪者の方が近くで犯罪を起こそうとしても拳銃を見える位置に持っている方は、避けるだろうとも思います。)

その光景を実際に目で見るまでは、私自身「拳銃は危険な物ですし、ない世の中になればよい、拳銃所持反対」と軽く考えていました。

今でも拳銃は危ないものではあるし、自身で持ちたいとは思いませんが、この件をきっかけに、自衛のためのアイテムとしてはとても有効なものなのだろうと考え、拳銃所持に対して反対という考えではなくなりました(使用方法の規制はもちろん必要だとは思います)。

今までの数少ない経験からもこのように180度意見が変わったこともあるので、今回の傍聴で「拳銃は人を殺すためだけのもの」という意見に、違和感を感じたことは、これからの人生において、私の持つ意見に偏ってしまうことのないよう、注意してゆきたいと改めて実感した出来事となりました。

また、行く前には検察側の意見にばかり注目してしまい、
犯罪内容にもよりますが被告の方により重い罰が下されるように…とばかり思っていました。

実際に裁判所にいき傍聴した中で、
検察側の意見を聞けば「意見に矛盾はないし、被告は罪を償わなければいけない」と思うのですが、
弁護側の意見を聞けば、「検察側の意見に矛盾点があるのかもしれない。」と
大きく悩んでしまい、その後裁判官の方が下す判決を出すことがいかに難しいかと実感しました。

裁判の中で、刑期とは「被告が犯した罪の方法と結果に対する報いとして、社会から切り離すこと」とのお話があり、
「社会から切り離す」という言葉の重さも改めて考えるきっかけとなりました。罪を犯したことに対して、報いを受け反省することはもちろん必要ですが、社会から切り離されることで、刑期を終えた後の更生や社会復帰がより難しくなるのではないかとも思いました。

…この解決策はなかなか見つけることができないものだとは思うのですが、考えることを辞めることのないようにしてゆきたいと思います。

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